2006年9月 4日 (月)

特殊相対性理論の検証実験

特殊相対性理論の検証実験に使われた装置です。Bucherer_1 Kaufmann Kaufmann_1

2006年1月 6日 (金)

ゲーリケの空気ポンプ

 さて、朝から ドイツ語の辞書と、インターネットの翻訳を使って、学生時代に苦しんだ翻訳をしてみました。自信がないので、原文も添えておきます。

別のコーナーにあった、空気ポンプ(真空ポンプ)の解説です。3つのポンプの図があり、それぞれに短いドイツ語の解説がありました。英文はなかったと思います。

一つずつ、写真と解説文をアップしますので、ご覧下さい。間違いがあればご指摘いただければありがたいです。
pump1
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 Erste Luftpumpenform von Otto von Guericke. Die Pumpe
 bestand aus einer einfachen Feuerspritze ,
 in die Ventile eingebaut waren. Sie wurde vor 1654
 angefertigt (vielleicht schon  1640/45) und ist
 nicht mehr erhalten.
 最初のオットー・フォン・ゲーリケの空気ポンプ。
このポンプは弁を持った簡単な消防ポンプから構成されていた。それは1654 年より前に(多分既に1640/45) 作られ、現存しない。

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ゲーリケの2番目の空気ポンプの写真と解説です。

pump2 **************************
Zweite Luftpumpenform von Otto von Guericke. Die um 1654 oder
kurz danach hergestellte Pumpe fuhrte durch zwei Stochwerke
von Guerickes Haus in Mugdeburg und ist nicht mehr erhalten.

ゲーリケの2番目の空気ポンプの形態。 およそ1654 年または少し後、製造されたポンプはマグデブルクのゲーリケの家の2つの階を通してに置かれた。現存しない。
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ロバート・ボイルの空気ポンプ
                     ドイツ博物館 展示パネルを撮影

pump3 *************************
Luftpumpe von Robert Boyle .
Nach dem Bekanntwerden von Guerickes Versuch mit seiner
ersten Luftpumpe baute Robert Boyle  1658/59 eine
verbesserte Pumpe,die wahrscheinlich die Anregung zu
Guerickes dritter und vollkommenster Pumpenform gab.

ロバート・ボイルの空気ポンプ。 
最初の空気ポンプを使ったゲーリケの公開実験の後、ロバート・ボイルは改良されたポンプを造った。それは、 おそらくゲーリケへの第3 への提案であり、 ほとんど完全なポンプ形態となった。
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マグデブルク半球と真空ポンプの表示板 ドイツ博物館にて撮影
pumpindex
ドイツ博物館の「マグデブルクの半球」展示には、写真のような表示板がありました。
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    「真空ポンプと半球」
    オットー・フォン・ゲーリケ  マグデブルク
    オリジナル  1663ごろ
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 ところで、「アイザック・アシモフの 科学と発見の年表」によると、

1645年のところに「空気ポンプ」があり、
「ドイツの物理学者ゲーリケ(1602-1686)は1645年、初めて実用的な空気ポンプを製作した。これは水ポンプと同じように作動したが、十分な気密性を保てるよう各部分がぴったりと接合されていた。手動式であったため、排気には時間を要したが、十分に役立つだけの性能は備えていた。
 このポンプを使ってゲーリケは、大きな容器の中を真空にして、いくつもの有用な実験を行っている。たとえば、彼は真空の中でベルを鳴らしても音が聞こえないことを示し、音は真空中を伝わらないとするアリストテレスの主張を支持する結果を得た。また、真空中ではろうそくは燃えず、動物は生きていられないことも示した。
 さらにゲーリケは、金属球内の空気をポンプで抜いてから 球の重さを量ったところ、わずかに軽くなっていることを認めた。重さの減少は、中に入っていた空気が抜き取られたためであることは明らかであった。この結果と空気(容器)の体積を使って、ゲーリケは初めて、空気の密度の測定を可能にした。」
                      引用終わり

ゲーリケは1645年に初めて「空気ポンプ」を作り、画期的な実験を行っているのです。
 次に1654年を見ると、「大気圧」のところで、「空気ポンプを発明したゲーリケは、1654年の初め、大気圧の強さをアピールする公開実験を行った」とあり、有名なマグデブルクの半球の実験について書かれています。

 とすると、ここに展示されている「真空ポンプと半球」には1663年頃と記されていますから、1654年の実験で使われたものではないことになります。

確かに、どこにも「マグデブルクの半球の実験で使われた」とは書かれていませんからこちらがそう思っていただけなのでしょうが、よく調べてみると、そいういことなのでしょうか。

ベルリン

ご注意! 順番を間違えてしまいました。すみません。

ここ記事は【カフェアインシュタイン】の前に入るものです。

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今までの記事はドイツ、スイスのネットカフェから送ったものでした。

これからの記事は、帰国後 【独逸・瑞西 アインシュタインの旅】 として、nifty サーエンス・フォーラム 理科の部屋3、兵庫物理サークルメーリングリスト、新理科教育メーリングリストに投稿しているものです。

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その11 ベルリン 8月13日(土)

 この日はフンボルト大学のアインシュタイン展見学の予定でした。しかし、前日見学できて、夜8時まで4時間もいたので、続けてみる元気はありません。午後2時半にはミュンヘン行きの列車に乗る予定だったので、ベルリン見物をすることにしました。しかし、アインシュタイン以外は全く調べていなかったので、ここで初めてガイドブックを見ました。ところがベルリンは大都市です。初めて東京に行って、さてどこを見物すればいいのでしょう。とにかく地図を見て、見当をつけ、ホテルから近い繁華街に行ってみました。トランクをツォー駅のコインロッカーに入れ、カメラとビデオだけを持っていきます。
駅から西にカント通りが延びています。500mほど歩いてザビニー広場で南に下がり300mほどでクーダムという賑やかな通りに出ます。カルチェやシャネルの店や、ベンツのショールーム、カフェなどが並ぶ賑やかな通りです。1キロほど東に戻るとカイザーヴィルヘルム記念教会(爆撃を受けたままの姿の教会)に着きます。ここからツォー駅はすぐです。今度は地下鉄に乗り、東に向かいます。20分から30分かかったでしょうか。
アレクサンダー広場で降ります。外に出るとテレビ塔がそびえています。ここから西に向かって歩きます。土曜日で天気もよく、観光客もベルリン市民も夏の日差しを楽しんでいます。マリエン教会、赤の市庁舎、カールマルクス広場を通り、博物館島からウンターデンリンデンのフンボルト大学まで歩きました。ブランデンブルク門から東は、旧東ベルリンです。商店や娯E-00523楽施設の多かったツォー駅周辺は旧西ベルリンです。街の性格が違います。このあたりは重厚な他を威圧するような建物が集まっています。
 マルクスエンゲルスの像に観光客が登り、記念写真を撮っていました。ドイツが東西に分かれていた時代があったことを、想像することはできませんでした。

                    続く

ドイツ博物館

その15 ドイツ博物館  8月14日(日)

 旅も6日目になり、疲れが出たのか、思わぬ寒さで風邪をひいたのか体調がすぐれません。旅半ば、海外の一人旅で病気になっては大変です。今日は10時まで寝たので、体も楽になりました。
 ホテルの朝食はビュッフェで ベルリンと同じようなものでしたが、魚が少ないのと、味がもう一つなのです。悪くはないのですがあのベルリンの感激はありまん。ここで4泊もするのに、がっかりです。それでも、ミュンヘン名物子牛肉の白いソーセージ、ヴァイスヴュルストがありました。これは柔らかくちょっと味わったことのない美味でしたが、実はこの日だけ、あとは出てきませんでした。
P1000311
 さて、いよいよドイツ博物館見学です。中央駅から地下鉄に乗り東へ、イザール門駅下車、徒歩5分です。歩いても2.5kmです。イザール川の橋を渡ると博物館ですが、大きすぎて全体がどんな形なのかよくわりりません。夏休みの日曜日とあって、中は親子連れでごった返しています。見学には2日はかかると聞いていましたが、今日は1時から5時まで見て明日ウルムに行き、あさってもう1日見学です。1日半ですが、プラネタリウムのアインシュタイン特別番組とアインシュタイン展を見るので一般展示を見る時間は正味1日です。大きな博物館ではあれもこもと見てしまい、焦点が定まらないことがこわいのです。今回は物理に限ってと思っていましたが、物理だけでも膨大な展示があります。油断するとメッサーシュミットやツェッペリン号が目に入り、V2、ディーゼルエンジン、カールツァイスを見てしまうと、もう収拾がつかなくなります。宝の山に迷い込んで、何から手を着けていいのか混乱して、結局何も盗らずに捕まってしまう盗賊になってしまいます。

 今回はまずマグデブルグの半球、レントゲンのX線装置、ヘルツの電磁波実験装置は絶対見ると決めていて、それは見たのですが、あとはオームの装置、フラウンフォーファーの分光器など、他は多すぎて未だに整理がついていません。

                  つづく

ミュンヘンへ

munchenstation その14 ミュンヘンへ 8月13日(土)

 21時11分 時間通りICEはミュンヘン中央駅に到着しました。
ミュンヘンに着いた感想は、寒い!でした。列車の中で少し寒く、それは
冷房の効きすぎだと思っていました。しかし、駅に着いても寒いのです。
ミュンヘン中央駅は交通の要衝で、フランクフルトと同じくらい大きな駅
です。駅構内にカフェや売店が並び、観光客で賑わっています。ホテルは駅の北裏徒歩2分で、看板があったのですぐわかりました。
 チェックインして荷物を下ろし、また駅に出かけてカフェでサンドイッチとコーヒーの夕食を食べ、売店でジュース、水、チョコレートなどを買ってホテルに戻ります。寒いしとても疲れています。シャワーもそこそこに寝てしまいました。

                  つづく

ICEの旅 ミュンヘンへ

独逸・瑞西 アインシュタインの旅
その13  8月13日(土)

 カフェアインシュタインを出て、ベルリンツォー駅に戻り、コインロッカーから荷物を取り出しミュンヘンに向け出発です。ICE(ドイツの新幹線)に乗り、北から南へ7時間半の長旅です。日本のようにICEは別のホーム(駅)があるのではなく、普通列車も同じ駅から出発します。特別の線路を通るのではなく、普通列車と同じ線路を通るのでしょう。そのせいか、最高時速は230kmです。予約した席に着くと、そこは前から何両目かの車両の一番前でした。ガラスを隔てて運転席があります。先頭ではないのですが、運転席の後ろにあるこの場所はパノラマ席のようで、16席くらいしかありません。ここに私一人だけが乗っています。うれしいような、寂しいような複雑な気分です。

 珍しく10分くらい遅れて、14:40分に発車しました。ベルリンを出ると、車窓からはゆったりと広がる牧草地が見渡せます。山がない平坦な地形が続き、時々小さな町を通過します。町の近くでは大抵何台かの大きな風力発電塔が立ち並び、風車がゆっくり回っています。シートはゆったりしており、机もあるし電気のコンセントまでついています。ひとしきり景色をビデオにとった後、パソコンで日本に送るメールを書きました。列車でパソコンを使うのは初めてです。30分くらい使って少し気分が悪くなりました。ゆれの中で、小さな文字を見続けるのは大変です。車掌さんが乗車券のチェックに来て、ついでに飲み物の注文を聞かれました。コーヒーを頼むと後で席まで持ってきてくれます。

 16:20 停車した駅で私の前の車両が切り離され、進行方向が変わりました。そう、最後尾になったのです。パノラマカーで後ろ向きに座っているのは実に妙な気分です。見えた瞬間にすべてが遠ざかっていきます。先頭ならだんだん近づいてくる期待感があるのに、ここではすべてを失う失望感を感じます。さすがにつらくなって、横の景色を見ているうちに眠ってしまいました。
ICE19:30 目を覚ますと駅に停車しています。そして一人の男性があたふたと鍵を開けて運転席に入っていきます。誰だろうといぶかっていると計器をチェックし始めました。運転士
だったのです。制服を着ていないからわからなかったのです。この駅で列車は向きを変え、私は先頭列車の一番前の席になったのです。走り出すとここは最高の席です。まるでICEの運転士になったような気分です。信号、駅、線路の曲がりすべて一番初めに視野に入ってきます。運転席とガラスの壁一枚で仕切られた席から、運転の様子をビデオに撮り、運転士がこっそりタバコを吸って、入ってきた女性の車掌に怒られているのを見たりしながら、退屈することなく6時間半の列車の旅を楽しみ、 ミュンヘンに到着しました。
                     つづく

カフェ・アインシュタイン

独逸・瑞西 アインシュタインの旅
その12 ベルリン 8月13日(土)
     カフェ・アインシュタイン

 11時半、写真やビデオを撮りながらウンターデンリンデンまで来たところ、さっきまで晴れていたのに、雨がぽつぽつ降り出しました。歩き疲れたしおなかも空いたので、カフェ・アインシュタインに行くことにしました。すぐ近くにいたのですが、地図を探すのも面倒で、タクシーを止め「カフェアインシュタイン」と言いました。運転手は「カフェアインシュタインは3軒、どこのだ?」と聞くのです。ウンターデンリンデンというとそれは、大通りの向こうだということで、何と通りの向かいにある店に行くためにタクシーを止めてしまったのです。さすがにバツが悪くて、他の店は?と聞くと、ツォー駅に帰る方向にも店があるというcafeeinsteinので、そこまで行ってもらいました。実はその店は、後で調べると、ガイドブックにも載っている地元でも人気の店だったのです。10分ほどで着いたのは、意外にも閑静な住宅街で、カフェというより、瀟洒な邸宅のようなところです。駅からも遠いし普通はわざわざ来ない場所です。怪我の功名、思わず笑みがこぼれますStammhaus と看板にありますから、ここは本店だったのです。

 塀に囲まれた邸宅を訪れるように、門をくぐり、階段を登ると天井が高いゆったりとした空間に椅子とテーブルが並び、大きなガラス窓からは、木立の緑がそよいでいる、今まで来たことのないような素敵なカフェでした。お客は静かにお茶と会話を楽しんでいます。コーヒーとケーキを頼みました。ドイツに来て、毎日幸せな気分が続いていますが、一つには
コーヒーが美味しいことがあります。どこで飲んでもコーヒーが美味しい、その中でも、ここは格別です。
 ウェイトレスに、ここはアインシュタインとどういう関係があるのか尋ねてみました。彼女の言ったことははっきり聞き取れなかったのですが、かつて、アインシュタインの娘の家だったと言ったように思いました。入り口にその写真があるというので写真を撮りましたが、彼女はそのまま忙しくしていたので、確認することはできませんでした。

 ゆったりとした時間を、このお気に入りのカフェで過ごし、ドイツに来てから訪れた場所を思い出していました。今まではこの旅の序章です。いよいよ、南ドイツからスイスへ、アインシュタインが生まれ、育ち、学び偉業を成し遂げた地に向かうのです。

                      つづく

2005年8月21日 (日)

スイスのベルンにいます

region_express 今スイスのベルンにいます。ベルリンからミュンヘンに行き、ドイツ博物館を見学してアインシュタインの生誕地ウルムに行き、もう一度ドイツ博物館に行き、鉄道でチューリッヒへ向かう途中、ビンタートールという町で途中下車し、彼が2ヶ月だけ臨時講師をしていた工業高校に行き、チューリッヒ工科大学ETHにいき、チューリッヒを見学して、夜ベルンに着きました。驚いたことにここのパソコンは非常に遅く,niftyにつなぐと文字化けの

嵐で何もわかりません。おまけに15分5スイスフラン(1フラン92円)。昨夜は送れませんでした。今日はベルン博物館のアインシュタイン展を見て、駅に行ったらワードの入っているまともなパソコン(それでも155スイスフラン)があったので、急いでメールを書いています。うまく届くことを祈ります。

フンボルト大学アインシュタイン展 続き

812日フンボルト大学アインシュタイン展 続き

相対論の時間のおくれを説明するビデオは、部屋全体が白い壁で出来ていて壁全体が急に白く明るく光る不思議な小部屋で上映され見学者は最後まで真険に見ている。見学者は老若男女色々な人がいるのだが皆熱心で、特に若い女性が長時間真険に展示の説明を読み、質問したりしているのには感激した。決してそれは易しくないのだ。

2階では相対論を検証した2つの実験器具が展示されていた。これこそ私が求めていたものだ。加速器によって電子を加速した時相対論的効果で電子の質量増加を調べた実験らしい。若い女学生風のスタッフにたずねると、それはWalter Kaufmannの実験器具とBuchereの実験器具で、特にBuchereはドイツではとても有名な学者で、知らないというと意外なようだった。会場で黄った本を改めて見てみると、どうも実験は成功しなかったらしい。失敗した実験は教科書には書かれない。しかし相対論の発表が’1905年であるから1906年と1908年という時期に行れれた検証実験の意味は大きい。成功していたなら力ウフマンやブッヘラーは_アインシュタインと共に「相対性理論」でノーベル賞を受けたかも知れないわけで、それは万人が納得する結果であったろう。彼女もなぜアインシュタインが「相対性理論」でノーベル賞を受けなかったか不思議だと言っていた。

     若いスタッフと歴史的な器具を見ながら話をしているとあっと言う間に時間が過ぎていく。館内で議論をしている私たちの時間はゆっくり流れているが、館外の時間は速く過ぎる。守衛にせかされてスタッフと階段を下りながら話し続け外に出たのは夜8時だった。

2005年8月17日 (水)

ベルリン フンボルト大学 アインシュタイン展

みなさん こんにちは  

今ミュンヘンです。元気に旅を続けています。今年は特別寒いらしく、あまり寒いのでセーターを買いました。今朝からミュンヘンは雨、でも暖かい雨でした。明日からは天気もよくなり暖かくなると天気予報でいっていました。 日本語入力ができなくて、杉木さんはじめ皆さんにご心配とご迷惑をおかけしました。森井さんにはメールをいただきありがとうございました。そちらの日本語は読めますので、どうぞ日本語でお書きください。カフェのパソコンには日本語FEPがないの日本語入力できません。でも読めるのです。ミュンヘンでは「ワード」が入っていて、自分のパソコンで書いたファイルを開けて、それをメールにコピーしています。 話は遅れ遅れですが、こちらにいる間にできるだけ書きますのでお読みください。  (明朝、列車でスイスのチューリッヒに向かいます。)

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独逸・瑞西 アインシュタインの旅 

8月12日(金)午後 

ベルリン フンボルト大学 アインシュタイン展  

ポツダムが思ったより近かったので、ベルリンに戻りフンボルト大学のアインシュタイン展にhunbolt_univ行くことにしました。 3時半ごろフりードリッヒシュトラーセの駅に着きそこから歩いて10分ほどです。正面ではなく大学の横を通って行ったのですが、その建物の柱、壁の石、彫刻に威圧されました。すごい威厳と迫力です。 ウンター・デンリンデンというブランデンブルク門に続く大通りの両側に大学はあります。通りを渡った建物に大きくアインシュタインの写真入垂れ幕がかかっていたのですぐにわかりました。見学料7ユーロです。入ってみて驚いたのは展示のすごさに圧倒されました。一番はじめの部屋にたくさんの歴史的な実験器具が展示されているのですが、何のことかさっぱり理解できないのです。表示はドイツ語で少し英語が添えてあります。入り口で借りた無料のガイドフォンからは英語の説明が聞こえてきます。ドイツ語の表示を見ながら、英語の解説を探し、解説の英語を聞いていると、混乱してきて自分が物理の教師であるということが、実は間違いで、まったくの素人、何も理解できない、すぐに出ようかと思うくらい混乱しました。大阪市立科学館友の会の小野さんという方が 1月以上前に見学にこられて、ドイツ語の展示なのでさっぱりわからなかったといわれていたのを思い出し、ショックでした。これでは同じです。 気を取り直し、まず、ガイドフォンをはずしました。自分の目で見てそれに集中しようと思ったわけです。これは正解でした。器具を見て解説をゆっくり読んで驚きました。古い真空管やパラフィンの円筒などが入った展示物があり、なぜアインシュタイン展に真空管の実験器具があるのかといぶかっていましたが、よく見るとそれはオットー・ハーンとシュトラスマンが核分裂を発見したオリジナルの装置だったのです。各展示場所に若い解説者(多分大学院生)がいて解説してくれるのです。聞いてみるとその通りで、ハーンとシュトラスマンが実際に解説しているビデオがあるというのです。すぐに壁にビデオを投影してくれました。今目の前にある装置を示しながら彼らが核分裂実験について解説しているのです。これには感激しました。実はこれは独逸博物館からの借り物で、ここに借りてきていなかったら写真撮影できたのです。ここは禁止です。隣のガラスケースの下にはなにやら教科書で見たような装置があります。よく見るとヘルツの電磁波検出の装置です。もう少し大事によく見えるところに展示すべきです。抗議したいくらいです。このようにかなり重要な実験器具を、このアインシュタイン展のためにミュンヘンのドイツ博物館から借りてきており、後で行ったときに見れないわけです。写真が撮れない悔しさで残念で仕方ありませんが、目と耳にしっかり焼き付けることにしました。

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